日本企業の視点から見たブラジルM&Aの実務の最新動向
西村あさひ法律事務所
弁護士 清水誠
2015/10/15
1.はじめに
ブラジルは、その市場及び経済の巨大さから引き続き国外の企業や投資家からの注目を集めているものの、足元を見ると、ジウマ・ルセフ大統領の経済政策や、2014年に開始されたいわゆる「ラヴァ・ジャト作戦」により捜査が進められている、ブラジル最大の石油会社であるペトロブラスをめぐり、議員、政府高官やゼネコンを中心とする大企業の経営陣も多数逮捕されるに至っている大規模な汚職事件の影響等により、2015年の経済成長率がマイナスとなることが予想されるほど経済は停滞しており、一時は1米ドル=4.24レアル台を付けたように急激なレアル安が進行しているなど、ブラジル国内の経済環境は悪化している。このような環境下、ブラジルに進出している日系企業も厳しい状況に直面している。
本コラムでは、このようなブラジルの近時の状況を踏まえたM&A実務の最新動向について、特に日本企業の視点から解説する。
2.ブラジルにおけるM&Aに関する法律実務の一般的特色
ブラジルのM&A(日本企業によるブラジルにおけるM&Aは多くの場合、既存株主からの譲受け又は増資引受けによるブラジルの会社(*1)の株式の取得の形で行われるため、本コラムにおいても、特に断らない限り、日本企業によるブラジルの会社の株式取得を念頭に置く。)の、日本の実務と異なる特徴としては、たとえば以下の点が挙げられる。
(1) 法務デューディリジェンスにおける検出事項
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税務:ブラジルの税法は他国と比較しても非常に複雑であり、かつ頻繁に改正されることから、企業が何らかの税法違反を犯してしまう場合も少なくない。また、ブラジルの実務上、税務上の問題は、行政及び司法の両側面において税務当局との間で協議、交渉によって処理されるのが通常であり、税務訴訟は、税務当局との関係で納税者に関する原則及び権利を司法の面から実現する手段の一つと見なされている。その結果として、ブラジル企業は、日本を含む他の法域における企業と比較して多くの税務訴訟を抱えていることも多い。
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労働:ブラジルの労働法制は極めて複雑であり、かつ非常に労働者保護的な性格を有している。加えて、労働者が使用者に対して訴訟を提起しやすい環境にあり、その結果、極めて多数の労働訴訟が労働裁判所に提起されている(2014年に第一審の労働裁判所に新たに係属した事件数は約350万件に上る)。そのため、ブラジルの企業は数百件から数千件の労働訴訟を抱えていることも珍しくない。
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環境:過去の経緯に拘わらず、現時点の不動産所有者が無過失責任を負う場合もあるなど、ブラジルの環境法令は厳格であることから、環境問題の取扱いがディール・キラー(M&A取引の交渉を決裂させる主要因)となることもしばしばある。
(2) 買収契約における特徴
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補償及び支払原資の確保:日本の実務と異なり、買収契約上の補償(Indeminity)条項に基づき、買主が売主に対して補償請求を行うことは、ブラジルでは珍しくない。そのため、補償条項を適切に規定することのみならず、補償の原資を確保するための適切な手段を講じておくことも重要である。支払原資の確保の方法の一つとして、買主が売主に対し、譲渡価格の一部又は全部を一定期間エスクロー口座に預託することを要求することも、極めて一般的に行われている。
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紛争解決:ブラジルの裁判手続には、①複雑で長期間を要する(商事訴訟に20年以上を要した例も存在する)、②証拠法が英米法と比較して不明確といった問題が存することに加え、③判断主体の専門性という観点からも裁判よりも仲裁が優れていることから、M&Aにおける紛争解決手段としては、仲裁が選択されることが多い。
(3) その他の実務上の特徴
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買収資金の調達:ブラジルにおいては国内調達金利が非常に高いことから、特にブラジル国外の投資家によるM&Aにおいては買収資金は国外で調達され、ブラジル国内の買収ビークルに対し出資の形で提供されることが一般的である。
*1 ブラジルにおける代表的な事業体としては、日本の合同会社や米国のLLCに類似する法人形態であるSociedade Limitada及び日本の株式会社や米国のCorporationに類似する法人形態であるSociedade por Acoesが存在するが、本コラムの目的からは両者を区別する必要性は高くないことから、特に区別せず「会社」ということとする。
3.腐敗防止法の施行及びラヴァ・ジャト作戦を踏まえた実務上の対応
腐敗防止法の施行により贈収賄行為について法人の厳格責任が導入されたことや、ラヴァ・ジャト作戦によってブラジル国内における贈収賄行為が現実的に摘発されるリスクが一層顕在化したことに伴い、近時のM&A実務においても以下のような変化がみられる。
(1) 贈収賄行為に関するデューディリジェンスの深化
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ブラジルにおいても、デューディリジェンスにおいてコンプライアンス関連の問題を精査する重要性は高まってきているが、ブラジルにおける近時の情勢を踏まえ、対象会社における贈収賄関連の問題点の発見を目的として、デューディリジェンスにおいて、さらにインタビュー事項の追加、充実やインタビュー対象の拡大等がなされるようになってきている。
また、贈収賄関連の問題の専門家を雇う等する法律事務所も増えてきているようである。
デューディリジェンスを行う法律事務所は強制捜査権があるわけではなく、また時間その他の制約もあるため、一般論として、デューディリジェンスの過程で具体的な贈収賄の問題を発見することは容易ではない。しかしながら、近時においては、デューディリジェンスにおいて発見された贈収賄の「疑惑」がディールキラーになる例等もあるようであり、M&Aの実務においても贈収賄規制その他のコンプライアンス関連問題の重要性はますます高まっているといえる。
(2) 表明保証条項の充実化
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新腐敗防止法が施行されたことのみならず、ブラジルにおいて贈収賄の事実が事後的に顕在化するリスクが増大したと認識されていることに伴い、ブラジルの国内法たる新腐敗防止法に加え、米国FCPA、英国Bribery Act、日本の不正競争防止法等、ブラジル国内の行為に対して適用され得る海外法も踏まえて表明保証条項の作り込みの試みがなされている。
4.経済の低迷及びレアル安を踏まえた実務上の対応
経済の急速な後退期や為替が大きく変動する時期においては、とりわけ、買収契約の締結からクロージングまでにおける環境の変化のリスクにどう対応するかが問題となる。ブラジルのM&Aにおいては、近時以下のような傾向がみられる。
(1) 買収契約の締結からクロージングまでの期間の短縮化
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許認可等の取得や独占禁止法上の手続の履践等のため、買収契約の締結からクロージングまで一定期間をあけることが避けられない案件も存在するが、そうでない限り、極力買収契約の締結からクロージングまでの期間を短縮化する(理想的には買収契約の締結とクロージングを同日に行う)努力が一層なされるようになってきている。
(2) MAC条項の交渉の激化
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MAC条項の内容、とりわけ、対象会社自身の事情に関わらない市場環境の変化をMACとするか否かについてが大きな交渉上の論点となるケースが多くなってきている。
(3) 買収対価を外貨建てとする取引の増加
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ブラジルにおいては、過去のハイパーインフレ時代にはクロスボーダーM&Aの買収対価は外貨(特に米ドルや欧州の通貨)が用いられることが多く、その後レアル建の取引が増えてきているという状況にあったが、近時のレアル安等を受け、再びクロスボーダーM&Aの買収対価を米ドルやユーロ等で定める例が増えてきている。
5.おわりに
昨今のブラジル経済の低迷は、進出済みの日本企業によっては大きなチャレンジであり、進出を予定している日本企業にとっては進出を躊躇する要因になり得る。もっとも、中長期的視点から見れば、ブラジルに対する投資の好機とも捉え得る。ブラジルの近時の情勢を踏まえた買収の検討、契約交渉、買収の実行の各段階において適切な対応が執られることで日本企業によるブラジルM&Aの成功事例が増えることを願う。